遺言

一緒に生きたい

2月26日

2/26だ。もう1日、過ぎちゃったけど

えっと……あ、ことしで8年なのか。そっか。もう、8年前、なんだねぇ……

8年と一日前だいたい今頃、出席さえすれば必ず受かるからと念を押された再試験を受けに行く前日(というか日付をまたいでいたから当日)に、本当に辛くて、もう、何もかもなかったことになればいいなあって、そんな気分でデスクトップに向かっていた。もう今は亡き、あのブログに消えたいなあって、どうしたって無くならない気持ちを書きなぐりながら……注ぎ口を切り取った2ℓペットを抱えて、腕を切ってた

いつの間に失神したかも分からなかったけど、イヤホンからオーダーメイドがずっと流れていた 朝になっていた。咄嗟に起きて血の入ったペットボトルを確認するが、奇跡的に倒れてはいない。いないけど、お気に入りのカーペットは腕から出たので血塗れで……そんなことよりも吐き気がすごく、たまらずペットボトルに嘔吐した 寒気も吐き気も止まず、トイレに向かうが至る前に失神する。不思議とどこか打ってたとしても痛くなく、床に倒れていて、あ、失神したんだ、と知る

お母さんに電話し、学校の電話番号を教えてもらうが、書くものがなくて壁に鉛筆で書いた 何故か親もこちらに向かってるらしい。学校に電話をかけて暫く、何度か相談に乗ってくれてた女の先生と数回話した程度の男の先生が来てくれた。インターフォンを聞いて玄関まで行き、ドアを開ける。と、そこでも失神した。目が覚めたら女の先生に抱きしめられて、その先生は泣いていて、生きていてよかった、なんて言った。その時私は多分、1週間くらいお風呂に入ってなかった。私臭いだろうな、とかぼんやり思ってた。前、こうして助けられなかった命があったんだよ、ということも何となく、聞いたような…。男の先生が私を負ぶって、アパートの階段を降りると救急車が居た。搬送中私はほぼ寝ていた?気絶していた?と思う 申し訳なくて、泣いた。

処置室では看護師に「傷は乾いてるから大丈夫」と言われた。深く裂けてなかったけど、たくさん血が出て、1.2、3位か……一週間くらい前、精神科の先生に「ブロンをやめろ」と言われて、代わりに自傷が悪化して、毎日300くらいのマグカップ1杯くらいは抜いていて、それもあって、貧血だった。生理食塩水を入れてもらって寝ていると、両親が来た。困惑してる、と言った感じで……正直、家族とどう接したらいいかわからなかった私は家族とSkypeをしながら死角で腕を切ってるような奴だったから、適当に笑った。だから帰りは、スーパーに備え付けられてる車椅子を初体験!とか興奮しながら、乗せてもらって買い物をして帰ったほど アホみたいだった。バカみたいだった。あの夜死んでたら……って思うけど、まあ、どっちみち親は来る予定だったんだし、あの程度の出血じゃ死ねなかったろうな。

再試も受けられず、当然留年して、そのまま1年休学して、やめろだの向いてないだのさんざ言われたのを押し切って復学、なんとか、ほんとうにぎりぎりなんとか卒業して……

あーあ。

「あの夜を越えられて、よかったんだ」

という気持ちと、

「あの夜死んでおけば」

という気持ちは交わること無くどっちもある

いいことだって沢山ある けど、いいことがいくらあったって、辛いことはなくならないし

生きてくのって、いつでもやっぱ、くるしい

そして2018年も、私は何度か死にかけて、結局生きのびた。なんでか分からないが、死ねないらしい。死にたくない。もちろん、死にたくなんてない

ただ消えてしまいたいという気持ちがずっとある

今も消えてなくならない

いつになったら、全てお終いになるんだろう、

なんてことを今年も想う

2014年2月26日の私、お疲れさま

がんばったね

ずっと、ずっとだいすきだから、今はどうか安らかに