遺言

一緒に生きたい

愛?

人間不信というより、許せないだけだ
貶されたことは数え切れないほどあるが、救けられた覚えはない
いや助けられてはいるんだろうけど、なんだろう、あんまり、本当に手を差し伸べられたことなんて無い、と思う、思ってしまう
いつも、肉親にさえ酷いことを言われたりして、あれこれ言われた挙句「お前が悪いんだよ」、自業自得と突き放されて、結局誰も信頼できないな。という気持ちが強い。それでいて、誰かたすけてほしい、なんでだれもたすけてくれないの?という気持ちに苛まれる 諦めと怒りで、頭が混乱する
自分をたいせつにしたい、というのはあくまで「そう思いたい、そうで在りたい」だけの願望であって、実際は「私が私だからたすけてもらえないんだ」という強迫観念に囚われている そう思うことで、自分を納得させたいというのもきっとある。何もかも"悪くなくて"赦せないなら、どこかで辻褄を合わせる必要があるから
本当は優しくして欲しいし、救けてほしい。でも心の底から「たすけてもらえるんだ」と思うことが出来ない。結局またお前の所為なんて言われるなら、とか、そんなの嘘に違いないとか、そういうのを、ほぼ私の思考外で勝手に演算して、勝手に辛くない振りをする
そうするとみんなはあ、大丈夫なのかなって思うし、訊かれても私も大丈夫ですと答える
無理をした分は自傷として表れて、それで、独りで自滅していく、のがお似合いなのかな?
ついてないって、ことなのかな
運が悪かった?
優しい言葉なんて貰ったことないや
お金を対価に貰ったり、
あーうんそうだね、みたいな相槌代わりだったり
死なれたら面倒だからその場しのぎ、みたいなのなら貰ったことあるけど
でもそれってあんまり嬉しくないな。
つまるところみんな、じぶんがいちばんかわいい。
私もそうだ。だから解るの、私に宛てる心配がいつか自分に有利な形になって返ってくるなら、あげてもいっかな。みたいな魂胆が……そんなこと考えてるから、可愛くなくて、たすけてもらえないのかも
でもそういう利益なし、無償の愛……みたいなのって本当にあると思えないし、というかそういうの貰ったことないし、私の記憶を辿ると、やっぱ裏に何かある、あったもん
そういう話聞くといいなあ、って思う
愛されてるんだな、って思う
羨ましい。