遺言

一緒に生きたい

生きる幸福

外で鳴いてる声がすると、一生懸命返事をしている
そんな姿を見ていると自分は間違ってるとも思うけど、どうすればいいか分からない。

ネット上に溢れている写真に切り取られた何気ない命は、今もどこかで生きてるだろうか、そんなことを想うと切ない
そんな気持ちさえ、人間の身勝手な感傷だ。
命が尽きたとして、世界は変わりなく巡っていく
輪廻転生なんてのは、救われたい人間の徒夢に過ぎず、自然界で生きてるものたちは、来世や死後なんて考えず、ただただ今を強かに生きてる、そんな印象を受ける
その癖死にたいだとか馬鹿げたことを言うのは、ぬくぬく生きている人間だけ
外にいればいつ死ぬかわからないから今を一生懸命生きる、というのも正しいだろうし、なんかこう、もっと達観してる様にも思う
一体感、というか、
彼らは、世界と一緒に生きている
お腹がすいたら食べられるものを探して走り回って、その時生った実を食べて
生きた川の水を飲み、
寒い夜は身を寄せあって眠る
そしていつか命が尽きたあと、その亡骸を誰かが食べて
その命を、また誰かが生命にしていく
それは、個が無いとも、心が無いとも違う
深い悲しみはあっても、どこか暖かい
非情であるように見えて、やさしさに溢れている
だから私が想うように、人が思うように、
死ぬのがかわいそうという感覚さえ、きっと、個というものを失うこと自体も、何一つ恐ろしくはないのだ
そんな気さえする

でもエゴを捨てきれない
幸せでいて欲しい、と思う
私がこうすることが幸せじゃなかったとして
私はどうすればいいのだろう、
命は命につながっていく、少なくとも人でなければ、無駄になるものはひとつもない
だけど目の前で命が消えることを受け入れられない
自分の物差しで測って、勝手に悲しんで
本当に自分勝手だ