遺言

一緒に生きたい

無題

記憶は映像のように再生することが出来ず、写真みたいに断片的で、その中でもひときわ心に残る1枚の印象が私を取り巻く雰囲気になる

音楽を聴いた時に、その時の出来事と感情をふんわり思い出すのと同じように、私の記憶の連続性をつくりだすのは雰囲気と私が勝手にそう呼んでいるものだ

説明が難しいしみんなもそうなのか分からないけど、この雰囲気次第で、調子が良くなったり悪くなったりする

今私はここから抜け出せない。嫌な雰囲気だと思う。逃げ出したいような、息が詰まる

きっかけは誰かの発言と絵で、まるでその場に行ったような気持ちになった 勝手にくみ取ったもの寂しさが、愛おしさと共に締め付ける 私が想起したのは、一昨年の十二月に行った東京の夜の景色のような、夜の並木道、繁華街、華やかさから切り取られた孤独、こういう気持ちをなんと呼べばいいのか分からない 恋しい気持ちとも言えると思う 憧憬とも…

 

切なくなるのは、想いが叶わないからだ

そしてそれは逃げ出したいという感情に直結する

 

思うに私が誰かと関係を継続できないのは、私が異常であることも少なからずあるが、きっと自信が無い所為で、誰かの好意を信じられないからだ

好きだと言って貰えてもどうしても自分にそのような魅力的な点があるようには思えなくて、きっとすごく気を遣ってくれているんだろうと思えてならない すごく失礼な事だと思うし、本当に好きだと思ってくれたならこれほど嬉しいことは無いのに、そして一瞬有り難いと思っても、ずっとそう言い続けて貰えないと不安になってしまう。面倒くさい自覚があって、しかもあなたに好意を抱いているよと誰もが頻繁に確認し合わなくても当然信じられているのが「普通」なのを思えば、かなわないことだと分かっているので、そんなことを言って嫌われてしまうくらいならこのまま居なくなろうという思考回路である

自分は嫌われている、からのスタートで、好意を常に表明して貰えないとどんどん目減りしていって、こわくなって自分から関係を絶ってしまう だけど自分から相手に寄せる好意は尽きることがなく、絶ってからも何度も思い出して恋しくて苦しくなる。ずっとずっとそんな。そんなことを繰り返している。自分がもっとまともだったら、こんな寂しい思いをしなくて済むのかもしれないと思うと、自分が自分で良かったなんて到底思えなくて

誰かに愛されたいと思うからしんどいなら愛すことも愛されることも諦めてずっとひとりでいればいい、と言うのは正論だと思う

分かっていても人並みに生きたいと強く望んでしまうから苦しい

なぜ私はこうなのだろうと思うと涙が出る