遺言

一緒に生きたい

愛される存在

私は気を許すのが、距離感をうまく取ることが苦手。

どこまで許されてどこまでは許されないのか、その普通が、解らない

いいよ、と言われて許されても、これは流石に、というのが。もしかしたら、普通の人なら当然わかることなのかもしれないけれど

1度ダメだよ、と言われると、どうしても、全て拒絶された気持ちになってしまう。そうなると、もう何も出来なくなる。

私は、全く許されてない、受け入れられていない。か、全てを許されて、受け入れられている。の、どちらかにしか居られない

その中間を取れない。頭で解っていても出来ない

それだから、友達という関係を気づくことがすごく難しい

他人か知り合い、それか恋人、そういう極端な関係性しか持てない。

 

私は、畑さんとどうなりたかったのだろう

畑さんは医務の先生なんだからどうなる、もなにもないけれど、

ずっとひとりきりで誰も頼れなかった中、いつでもおいでよー、と友達のようにちかい距離で接してくれる畑さんがすきだった。

恋人になりたかったわけじゃない。何もかも許されるなんて思ってない。ううん、私は、畑さんだけじゃなく、誰とでも、ちゃんとともだちになりたかった。

畑さんはなんでも、いいよ。と言ってくれたけど、それがどこまでいいのか分からなくて、いつも、探り探りだった

けど、そのうちどこまで晒しても笑ってくれる気がして、私は、結局、ここからはダメだよってことをしちゃったんだなあ…

 

どんなに優しい大人でも、私は敬語を崩せない

馴れ馴れしいと、嫌われるかもしれないから

けれどそうしているうちは何一つ本音など吐けないというのもわかる

私は……畑さんとともだちになりたかったのかな、立場上、もちろんそれは無理だけど、距離感的にはそういう関係

話しをするとき、時々はボイスメモを録った。その中で私は、友達と話すように、敬語でなく、楽しそうに話してる

私は畑さんと話すのがとてもすきだった

ひとりきりだったから、それこそ。

依存してたのだと思う

 

私がまともだったら、医務室に足繁く通って、畑さんとたくさんお話することもなかった。あの時辛かったから仲良くなれたけれど、そのせいでたくさんのものを失った

どうすれば良かったんだろう

私が普通の人間だったら、お互いこんなふうに傷つくことなく良好な関係で居られたのかなと思うと、やっぱり私は害にしかなれないのだな、と切なくなる

 

もう一度やり直せるなら、畑さんと話したりしない。誰とも関わらず、一人でいる方が、誰も傷つかないで済む

それなのにどうして私はひとりに耐えられないのだろう

私は……我儘や無理を受け入れ許して欲しい訳じゃなくて、ただ、愛されたくて、安心が欲しかった

恋人じゃない、ちがう、そういう愛じゃなくて、おかあさんがくれるような愛情が欲しかった

近くにきて、手を繋いで、頭を撫でて、抱きしめて欲しかった

けれどそれは出来ないよ、ごめんね

と言われたら、私はかなしくてたまらなかった

他には何一つ要らないのに、そんな些細なことも許されない、愛されない人間なんだと思うと、存在さえ否定されている気がして、どうして生きているのか分からなくなった