遺言

一緒に生きたい

もうお終い

内省の時間ばかりだったから、それしかすることがなかったから。出席もしないで薄暗い部屋 焦燥感に駆られて自傷する それも追いつかなくなって眠る 目醒めたら仕方が無いので、不味い飯を食い、シャワーを浴びる……そのどれもに言葉がついてまわった。頭の中は常に言葉でいっぱいだった。考えることはすきだ。自分の中で正解を見出すのがすきだ。他人といる時の私は取るに足らない、出涸らしのような塵芥でしかないが、私一人きりの場合は違う。私は私が一等大事で、私という存在越しに見える世界はいつでも鮮烈に煌めいて見えた。

あの頃の歌ばかり繰り返し聴いてしまうのも、こうして思い返すことがあの頃ばかりであることも、あの頃が人生の中でいちばん美しかった所為に違いない。いのちを削って得たものはなによりもきれいなのかもな、こうして穏やかに過ごせる幸福は、あの頃の私が何を犠牲にしてでも欲しかった未来に違いないのに、どうしてこんなに焦がれるのか。

そんなことを考えてばかりいるから、しあわせになれないのかもしれない。そうだとしたら、私は

 

ひと、のことがどれだけ嫌いでも、人の中でしか生きていけない。どれだけ孤独でも私は1人ではなかった、悪い意味でも良い意味でも、そこにはいつも縋りたい人がいて、見て欲しくても見てはくれない人がいて、その代わり、そっと見守ってくれる人がいて、生かされていた、と思う。でも、出来たらどうか、もっと早く、知らせてほしかったなぁ、なんて…、私はもうしあわせだから、あの頃のようにきれいな傷をつけたりあざやかなことばを紡ぐことは出来ないかもしれないの、勝手に、申し訳ないな、と思う……メンヘラの私が好きだった人にそう、そして私に対しても、ごめんね