遺言

一緒に生きたい

今も変わらず

自分だけなら、自分一人なら、私は私のことを認めてあげられるのに。ひとりきりの寂しい世界でも、最初からひとりなら孤独を感じることも無い。他者が居て初めてひとりがどういうものが知る。自分の内にあるものを晒し、相手の世界を覗かせて貰うことは楽しくあたたかいもの。だけど全てを受け入れられるわけじゃない。そもそも受け入れる、などと言っているうちは孤独のままだ。この肉体が私だけのものであるように、心も私だけのものなら、相手も全く同じであって、どれだけお互いの秘密をさらけ出しあったところで、それが覆ることはない。どこまでも自分と他人は平行で、一切交わらない。そんなことはわかっている。分かっているのに、受け入れて欲しい等と、不相応な勘違いをずっと、幼い頃からし続けている

私が楽しければ良いことも、人と居るとそうじゃなくなる。自分がしょうがないと思ってることだって、人と居ると。私に良い所など何一つないのに、それをみとめて、褒めて欲しい。いつからこんな図々しいことを思うようになったのだと我ながら呆れる。誰のことも嫌いになる権利など無いのに、自分の価値が人に委ねられた途端、自分が酷く惨めに思えて、恥ずかしくなって、嫌って憎む。その方が中途半端な憧れや好意を抱かずに済むからだ。こんなのは完全に妬みでしかない。不毛な事だ。それでも今すぐにここから立ち去り体を打って切り刻みたくなるような不快感はこうでもしないと消えてくれない。愛を求めて泣いてもそれが貰えないなら、次は憎む番だ。愛をくれないこの人は自分を不快にする悪者。嫌って当然だと泣き腫らした顔のちいさい自分がそう訴える。他者に対する評価も自分への感情も目まぐるしく変わり、とても手に負えない。上手く立ち回れないなら諦めるしかないのに、それだって一人は寂しい。願うから満たされない心をずっと持て余している