遺言

一緒に生きたい

繋ぐもの

九月の二十日頃には新潟に帰って、月末までは、ぼんやりと過ごした。彼と会話するようになったのもこの頃 蛍光灯に縋る昏い八畳間が私の世界のすべてだった

…畑さんの名前。なんだっけ。思い返せば名前でなんて呼んだことがなくて。もちろん立場が違うから。それに歳も違う。といっても私とそんなに変わらないようにも見えたけれど…正確なことは聞いてないから知らない、でも全然若かった。それでも私と同学年の2歳下の子達よりはずっと。彼らとは終ぞともだちになれなかった、主観だけれど、多分そう、でも、彼らといる時、私はいつも名前で呼んだ。みんなが苗字で読んでいても、私は。苗字呼びとあだ名が普通の中でそう呼ぶのは、妙な違和感があって、相手を緊張させたかも知れないけれど、名前、大事だもんね。それに、苗字呼びよりもよそよそしくない、と、私は思っていた。思ってただけで、逆効果だったのかもしれないけれど……。元々の同級生とは、Twitterのハンドルネームで呼びあっていて、そう呼び始めると本名で呼びづらくなってしまう。それがちょっと寂しかったのもある。けれど、その時よりもずっと、名前というものを大切に感じるようになった。

私は、本名のとおり。でも、ここでは心だし、彼にもこころと呼ばれている。彼女さんには違う呼び方で。どれが一番しっくりくるかは分からないけれど、どれも、本名と同じくらい、時々はそれ以上にたいせつで、=私のときもあれば、≠私の時もある。私にとっては、全部それぞれたいせつだけれど、ハンドルネーム以上の意味を持たないのであれば、私は、あきちゃんのことだって名前で呼びたかったし。私も、あの時、本名で呼ばれたかった。

名前は、心と体、自己と世界を繋ぐ大切なものだから、

 

こんな名前だった気がする。まで至って、そういえば、名刺を貰ったことを思い出した。お薬手帳に挟んでたはず。もう二度と見たくないと思って、貰った名刺の1番奥に仕舞ってたのを引っ張り出すと、飛び散ったいくつかのほぼ黒の点、そのうち一つだけ擦られて尾を伸ばした血痕、手書きのメールアドレス

きっと、十月の初めの、例の傷のときだ。これを見てメール書いたんじゃないかな。丸文字で私の字かと思うくらい似ているけれど、アットマークの書き方が違う。よく見るとほかの字も。じゃあ……これは、

……こんな残滓を一つ一つかきあつめて、ずっも、今更何にも成らない想いに浸っている。違うよ、畑さんに対してじゃない、畑さんを慕ってたあの頃の私への弔い

あまりにも、畑さんは大きかったから。あの夏、私の傷を見ぬ振りせず、「これ、消せるなら消したい?」と訊いた純真な声に、私は惹かれた 消せるものなら消したい、と答えたときから、全部、全部決まってたの

こうなることも、ぜんぶ…

 

せんせいの名前、読みはあってた。字は違った。私は名前で呼ばなかったけれど、せんせいはわたしを○○○さん、と呼んでた。苗字より、名前で呼ばれるのが好き。その方が近く感じるから。私は苗字が有り触れてるから、名前で呼ばれることも多い。「わたし」を見てくれている気がする。嬉しいこと。せんせいはどうだったろう?私の苗字がそうだったから名前で呼んだのかな。それとも、私のことを見ていてくれたのかな、