遺言

一緒に生きたい

ここじゃない

どこかに帰りたいという気持ちを思い出した。最も印象深いのは、2013年の秋冬。元彼女さんに絶交を言い渡された夏が終わり、段々寒くなって、それにつられるように気持ちがゆっくり落ちてった頃。幸い、私はひとりじゃなかった。あきちゃんがいた。それでも寂しさも虚しさも募るばかりで、あきちゃんを連れ去るバスを待つ間、降り頻る雪が街灯のオレンジに照らされて、その中でそう思ったのだ
帰りたかった ずっと、どこか懐かしくて優しいところへ 一人きりの家でも、実家でもない 分からない、ここじゃないところ 望んで、願っていた 叶うことがないことも分かっていて、思うたび切なかった。2018年には、もっと違う意味合いで この世界の環のなか、おおもとに、輪郭を失くして、溶けていくように

 

ところで、自傷をすると、なにか嫌なことや悲しいことがあって、その所為で自分を傷つけているんだろうと思われがちだけど、実際そういった理由で傷つけたことは、厳密には、ない。嫌なことや悲しいことは切っ掛けでしかない。その原因になった己の至らなさに対する自己嫌悪、無力感、激しい怒りが渦巻いて、手に負えなくなり、それらをしずめるための自己統制の手段というのが正しい。現実逃避でもある
特にきっかけがなくても起こるし。けど普通の人達は、なにか目に見える明らかな原因を欲していて、解決することで根本的に正したいと思っているらしい。そこが健常者と私の相容れない、不気味な認知の差。目の前の嫌な何かが無くなっても、私が私である限り、それはなくならないのにね。
あなたがごく自然にあなた自身を愛するように、私にはごく自然に、そう出来ない。だから、私があなたを理解できないように、あなたも私を理解できない。仕方がないね
それでも結局死ねないから安心してよ
それでも、なんてかよわいの。海で深呼吸をしたら死んじゃうよ。あっという間だ たった一瞬。たった一度、そうしてみたら、5分後には意識を失っていて、10分後には死んでいるかも、しれない
その一瞬のために、こんなにおびえて苦しんで…