遺言

一緒に生きたい

がらんどう

つくづく自分って嫌なやつだなと思う

自分でも解らない、一体何がそんなに嫌なのか、不満なのか、一向に満たされないのか、泣きそうになる程苦しい気持ちを、どうすることもできず喚き、他者を傷つけて、自己嫌悪に至る

もうこんなことをやめたいのに、胸が張り裂けそうになる 大事にしてくれないなら、一番にしてくれないなら、愛してくれないなら、それなら最初からいらないなんて切り捨てるくらいなら縋るのをやめたらいい 自分は愛されない、そんなの疾うの昔に知ったはずなのに、期待するのは、希うのは、幼い頃の私が、未だに怨嗟を吐くからだ。

だから私の欲求はいつも子供じみて馬鹿げている。子供の頃もらえなかったものに、いまさら満たされることなどないのに

私に付き纏う幼い私を殺せるならそうしたい。なんでどうしてと嘆くこれのせいでこれから先も満たされない。幸せでも嬉しくてもこれがかき消すからだ いつかまた切り捨てられて裏切られると怯えて、大丈夫だという証を常に貰っていないと不安になるのもこれのせいだ

私が一番でないと愛されてないと見做すのも、二極思考も、全部全部、これのせいで、例えいくら私が私を愛したとしても、誰かに与えられるものじゃないと自分の価値を測れず、許せないのだ

そのせいで私は、気狂いだと言われて、餓鬼呼ばわりで、馬鹿だと、歪んでると罵られる

私は普通に幸せになりたいだけなのに、これのせいで。

切り取って捨てられないなら、死ねないなら、じゃあ生まれて来なければよかったという話になる。散々頭がおかしいと見下してくる両親がこんなの産まなきゃ良かったんだな。いや、思い通りにならないからと幼い私を虐めた祖母がいなきゃ良かったのか。何にしろこんなになってしまった私が死ねばいいのか

理不尽だ

理不尽だな。

私は悪くない。そう泣いてしまう私は、幼い私なのか、それとも今の私なのか、わからない