遺言

一緒に生きたい

子供の頃からずっと

子を産み母になると、その子どもが、ちゃんとただしい「輪」の中に引き戻してくれるのだと、読んだ。愛されなかった己の傷を、愛することで治していく、とても素敵なこと。他者を愛すことは、己を愛することでもある。それは、とても素晴らしい。けれど、

億劫になる、力が抜ける

愛は有償のものだから

優しいことしか言わないカウンセラーに陽性転移したって、口先だけの優しさを履き違えていたに過ぎないのに、彼の人は絶対に振り向かないのに、愛してほしいと思った

勝手に愛情を抱くだけで自らも愛された気になるなんて滑稽も甚だしい 愚かで、馬鹿だ

それでも抱いて欲しかったの 母が子にするように、やさしく……さみしくて、さむくて、ひとりはつらくて、耐えられなかった

 

手の届かぬ神のような存在だと思えば、触れられない理由に納得がいった さもなくば私が愛されない存在だからひとりきりなのだと言うことを、認める他なかったから…それは嫌だったから……私に優しくしてくれる人はみんな神さまだった

祈るようにいくら想いを募らせども私を見てくれない訳を、神なのだからすべからく平等に人を愛すのだと思えば、仕方がないと思えた

……人が人を愛すには、それなりの理由がいるのだ 私には魅力がひとつもないから、愛す価値がない。私がどれだけ愛したとて、同じく愛される所以などないことも 勿論、わかってて、そう思いたかった

 

なぜ、多くの人が、愛し愛されて、ごく自然に、あたたかに満たされて生きていけるのか、私にはわからない 愛は有償のものなのに、皆、それほどまでに価値のある、差し出せるなにかがあるということなの

あるから愛されるの?

いつ、どこで得たの?

なぜ、私にはないの?

愛されないなら、一生ひとりのままなら、どうか消えて無くなってしまいたかった

けれどそれも赦されないんだ

「あなたが死んだら悲しむ人がいる」なら、どうしてその人は私を愛してくれないんだろう

どうして引き止めるくせに愛してはくれないの……

 

ずっとそんなことを思っていた

愛されているなら、家に入れてもらえる。私が今枯れた芝生の上で泣き喚いてるのは、当然愛されていないからだ。