遺言

一緒に生きたい

陽向、やさしい匂いのするほう

彼女さんとおうちデート。彼女さんのおうち。

最近、自分が真っ当でない故の引け目を強く感じて、一層、申し訳なさというか……居た堪れなさがあり、余計にコミュ障を拗らせてしまって、遣る瀬無さばかりが募った

それは真っ当になりたいという気持ちのうらがえしでもあるのだけど……自分がここまで思えるようになったのは、彼女さんのおかげ、に他ならない

久々に降り立って、その眺めに夏を感じた。あの夏、初めて会った駅。すごくすごく、たくさんの偶然(奇跡)が重なって、彼女さんと会えた。モノ的な偶然のみならず、感情の面でもそう。あの日は自暴自棄が酷く、感情が落ち込んでいて薬を飲んでいたし、見返せば、大人しく眠るつもりだったのだ。そのつもりで薬も飲んだはずなのに、うとうとしただけで目が覚めた。そして彼女さんの傷と不安気なツイートが決定打となって、会いに行くと決めた。今思えば、こんな素性の分からない奴と会ってくれたこと自体、とんでもない奇跡に思う……私も、OKを貰えるとは、思ってなかった……そんなことを突然言われたら困らせてしまうとも。もし駄目でも、近くまで行こうと思ってはいた。会えなくても、何となく、近くにいたら、大丈夫だと、伝えられるかもしれない……というのも、結局、私のエゴの塊だったのだ。私は自分の経験から己れの物差しで決めつけた大丈夫や安心を、手探りで渡すことしか出来ない。安心してくれたらうれしいのも、それによって癒される過去の自分がいるからかもしれない。けれど、彼女さんがつらくてくるしい状況を凌ぐための支えになれたら…と…私みたいに、どうしようもなくなって自傷して、命を落としてしまうことがあったら耐えられなかった。

もし彼女さんが私を選んでくれなくても、私は彼女さんが好きだったし、捩れた慕情を抱いていたと思う 彼女さんがしあわせでいてくれたらと願って、そのためならなんでもできた。違いない。自己犠牲とは聞こえがいいが、彼女さんがしあわせでいてくれたら、私もしあわせだったから、その為に自分をつかいたいと思った、それだけの死にたがりだった

 

それが今、隣に立って一緒に生きようとしている。とても緊張して、こわくて、ふるえる。死にたがっているうちは、何も失うものはなく、すり減らすだけで存在していられたのに、生きていくとなると途端、たくさんのものが必要になる。私は長いこと生きることから目を逸らしていて、そのツケも凄い。だから怖くて仕方がない。けど、彼女さんと生きていきたいから、彼女さんを心の支えに、頑張るの。多くは望まないけど、彼女さんと一緒に、しあわせに過ごしたい

 

帰り際、そんなことを強く思った。

彼女さんが計画を立ててくれた、楽しいでいっぱいのデート。お別れが近付くと、さみしくて何度も泣きそうになって、このまま何もかも終わってしまえばいいのにって、未来が等しく無ければ、つらいこともないのにって。考えた。現実から切り離された、夢のような時間。彼女さんが運転してくれる隣で、車窓から見た夕陽がとても綺麗だった。一面の田んぼも、水面で跳ねる煌めきも、往く道も、空気も匂いも、おうちも、机の上のプリントや小物、お母さん、みんなみんな、彼女さんの生活に繋がっている。私にとってはうつくしい印象で溢れた見知らぬ土地が、彼女さんの日常の一部だと思うと、なんだかとても貴くて、眩しくて、淡々と在る全てが、羨ましかった

私もそういう、なんでもない、ごく普通のものになりたくて…いつか、そうなって、それで、彼女さんと、ふつうのしあわせを生きたい。自分だけだと上手くいかないけれど、彼女さんがいてくれたら…

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頑張ろう