遺言

一緒に生きたい

無題

中学の頃の同級生に会った

「地元で暮らしてるって訊いたから会えてよかった」と言われた

一体誰がそんなことを?

誰一人私と繋がってる人なんていないし、2014年まで繋がってた唯一の同級生とはあれから話もしていない

同窓会にも一回も行ったことないし誰の連絡先も知らないのに。

まあ、それはいいとして…

出会ってすぐ手を握られて、指輪してないね~私もバリバリの独身!って

そして小学校の頃友達だった女の子が、今度ママになるんだって!と嬉しそうに話してくれた。

私にはなぜそんな他人事をあたかも自分の事のように嬉しそうに話せるのかが全く理解できなかったし、ママになることが喜ぶべきことなのかも分からなかった

漠然と小学生の頃の姿が思い浮かんで、一瞬、「ママになった」に至るまでの性行為について思いを馳せただけ。純粋だったあの子もそういうことするんだなあって。

今度話そうよ!と連絡先を交換した。今何してるかという簡単なプロフィールを送ってきたけど返事はしてない

真っ当な生活とは到底かけ離れた私が言えることなんてあるはずもなく

 

真っ当な生き方をしているように見えた

普通を絵に描いたように見えた

普通なら、小中学校の同級生とも繋がってるものなんだな、と思った

私にはとてつもなく遠い世界の出来事だ

眩しすぎて苦しかった、私が望んでも望んでも決して手の届かない世界

 

私は普通になりたかったから、特筆すべき点のない、地味で幸福な普通のひとになりたかった

私は私のまま生きていきたいとは、殆どそうは思えないから

私が私のままで幸福になれたらそれが一番なのかもしれない。とは思う

けれど私が私だから幸せになれないのだとも思う

幸福がない代わりに不幸もない

快がない代わりに不快もない、

そうやって極力何も感じないで生きて行けたらいいのかもしれない

淡々と、生きてく為に日々生きていられたら、それがいいのかも

 

今更不幸だというつもりは毛頭ないけど

ただいつまでもずっと、後悔は残り続けて悲しいまま

 

「ママになる」ということが祝福すべきことというのも、わかっている わかっていて、

不快感や嫌悪感でいっぱいになる私が悲しい

同級生と今でも繋がっていて明るくて真っ当なことが羨ましくて仕方がない

私は異常なんだと身に滲みて思う

こんな想いを抱えている限り一生幸せにはなれない