遺言

一緒に生きたい

呪詛と言い訳

彼氏できたということを言えなくてずっと「友達」って呼んで話さなきゃいけなかったこととか、いとこたちがするような姉妹間での恋愛相談とか恋の話とかも普通にできなかったこととか、結婚、出産のお祝いとか、ごく自然なことに対する、普通じゃない考え方 認識の仕方

そういうのって普通の人は理解不能で厄介なこと、なんだろうな、って

 

思えば思うほど、私は気持ち悪い人間だ。

理解できない。受け入れられない。

たくさんのものを許すことが出来ない。

けれど、許せない、というのは、許したくて思うことなのだ、と最近は思う。

私はどう在りたいのだろう

本当はみんなが幸せならいい

けれどそれでは、そこから外れた私を許せない、と思う私もいる。

「幸せであってほしい」世界から離れた時、ひとりきりのとき、よく願うこと。

傍観している気持ちになる 私はどこにも存在しなくて、誰からも認識されない 私という存在の幸不幸を想わなくていい時、やっと穏やかな気持ちになれる

本当はこうしたかったとか、ああしたかった。羨ましい、悔しい。そういう感情の諸々から切り離される

そこに「私」は居ない

 

つまり私、なんて居ない方がいいのだけど

それでも消し去ることができない

私のままで願うなら……私のことを愛してほしい、認めてほしい、受け入れてほしい。

けれど叶わない。私にはなにもないからだ

愛されているのはわかる。例えば、私がこうして生きていられることさえ、愛されている証なのだから、それは、とても有難いことだとも

けど……もっと違うところ 保証や責任の愛じゃなくて、もっと、幼い頃私が愛だと認識した、手に触れて、抱きしめられて、私のことを見て、いちばんに愛してほしくて

「お母さん」のように、私だけに構ってほしいのだ

そして、お母さんのように、私を裏切らないでほしい

見捨てないでほしい

 

根強く残る、幼い頃の後悔だ

私に素晴らしいものが何か一つでもあったなら、聞き分けが良くてお利口だったなら、妹だけじゃなく私を愛して貰えたのかな、と思うことを止められない

もちろんそれが馬鹿げた考えだということもわかっている、私は2歳で、産まれたばかりの妹を構うことも、私よりも幼い妹に手を焼くのも、仕方の無いことだ でも私はすごく切なくて悲しかった 愛して貰えない理由を毎日考えて泣いた 絶対の愛なんてない、代わりが見つかれば愛なんて簡単になくなってしまう

今でも私を支配する考え方

 

望む時望むように世界と私を切り離せたら、どんなに楽だろう

苛む恥じらいも悔しさも、喜怒哀楽もない

ただ優しさと穏やかさだけがある

私が受け入れられたいと願うことは醜いことだと思うから

私にはなにもないから

けれど受け入れられたくて、許されたい

私になにか素敵なものがあったらいいのに

素敵なものがあれば、私が愛される理由になる

納得ができる

さもなくばまた、愛をなくしてしまうかもしれない

かけがえのない証拠がほしい

私だから愛して貰えるという安心

 

だけど、ひとりきりを思うと、こんなにつらい

足元が崩れていってしまうような感覚、

さっと血の気が引いて、手が冷たくなる

薬を飲んでいなければ私を保てなかった

悲しさと虚しさが延々追いかけてくる

それから逃げるために、私を無くすために、薬が、

もうそんなのはいやだ…

もう薬なんて飲みたくない、また、薬を飲んでお金を稼いで、稼いだ金で薬を買うのはもう嫌だ

難しくても真っ当な生活がしたい

人でありたい

ひとりになりたくない

どうか見捨てないでほしい