遺言

一緒に生きたい

苛まれて

時々は、こころの中がごちゃごちゃになってうまくいかない時、昔はどうだったかな、と考える

昔の彼女さんといた時はどうだったかな

そりゃあ絵がうまかったけど、好きなものは真反対と言って間違いない

私はショタ!っつってる横で、いや筋肉こそ美しい…みたいな人だった。私は私でキモ〜とか言ってたくせに、なんかハマってたし

辛口な人だったから、絵も下手だし筋肉なんて描いたことない私の絵を見て「筋肉って言うよりけむくじゃらにの肉団子にしか見えない」とかほんと…

衝突しまくってたと思う 傷つくこともあったけど言いたいことははっきり言う人だったから、嘘もつかなかった。私も言いたいこと言ってた 言いすぎてたと思う すごく反省してるし、あの時も私は彼女さんしかいなかったから、あっという間にひとりぼっちになった それから5年間ひとりきりだったから、もう一人にはなりたくない トラウマのようになってる

 

けど、なかなか二極思考というものは消えない

大学生のころ仲良かった子、他の同級生といる時は挨拶もしてくれなくて(多分、普通に面倒だったからだと思う、私もすれ違う時は良くする)

そうと分かっていても、彼女らといる方が楽しくて、私といる時は本当にしょうがなく一緒にいるんだろうなという、嫉妬ではなく諦めがずっとあった

だから一緒に夜通しアニメ見たり遊び行っても友達とは思えなくて……その瞬間は楽しくて友達らしい、と思っても、違う場面では見知らぬ他人と思ってしまって、虚しかった

勿論、彼女にはなんの非もない 私の気持ちがいけない

 

じゃあそんな変えられない私を抱えながら私が幸せになるためには、と考えると、

自分自身が嫌悪してしまう気持ちを抱く時には、大抵奥底に嫉妬や羨望があるのだから、それに見合う他のこと、または同じような物事で釣り合いを取ればいいのかなって思った

……と言っても、そう簡単に見つかるわけないんだけれど……

 

私うまくやれてるかな 全然そう思えなくてつらい

私と話してるより他の趣味が分かり合える人と話してる方が楽しいんじゃないかなって思うし、それが悲しいならもっと上手く振る舞うべきなのに、なにひとつできてない

迷惑になるような干渉はしたくないと思うのに、最近の私は境界線が曖昧すぎる

自由を奪いたくない 私は私、それは誰でも同じこと それが素晴らしいことだと思う

でも凄く凄く惨めだ 私は何か誇れるものがあるだろうか

 

普通の人は来ないような場所、堕ちる所まで堕ちれば、楽かろう 誰かにぶつけたい怒りは激しさを増して自分へ跳ね返る それに身を委ねて思うまま自身を傷つければ、最後は惨めな私を慰めてくれる。あまりに衝動的で暴力的、私のいやなところを凝縮したような私が加害者になり憂さ晴らしが済めば、今度は私のいいところを掻き集めた私がやさしくする

一頻り泣いたら眠れば、やさしい夢が見れる、現実逃避

そうしてなんとかバランスをとっている

我ながら最低だ

いつでも冷静でいるためには、自傷行為しかないのかな

いつでも穏やかでありたい 一緒に喜びたい

いい私でいたい いい私でいられているとき、私も幸せな気持ち