遺言

一緒に生きたい

なら、しょうがないね

書いた通りコンスタンをありったけのんだのですが、なんでそんなことしたのだろう……と、しばし賢者タイムを満喫しておりました

辛いことがあった訳では無いと思うし、あったとしてそこまでする?と言うくらいで、なんでだろう〜と

記憶が無い。家族から薬中扱い…は慣れたとして、大好きなひととの記憶が無い、お金もなくなった。後悔もあるけどただただつらい

そっか〜去年は毎日こうだったんだなあ、と、久々に薬が抜けていく焦燥感と薬による虚無を味わっていた訳です…それで、あ〜これは去年に引っ張られたんかもな、と、ようやく納得がいきました

 

去年は、「そんなこともあったよね~」と笑うにはまだ痛すぎて、むしろ「つらかったよね」と流すことさえまだ出来ない

そんな状態で、まだ何も弔うことも悼むこともしていなかったな、と思った。

そうすることが絶対、ではないし、そうしなければいけない訳でもないけれど、私は「そんなこともあったな」と思い出してもらって、つらかったね、と自分に言ってもらうことが、自分の存在意義だと、辛かった過去を認めて許す、唯一の方法だと思っているから、それを抜きに未来へ行くことは出来ないのだと思う

だから引っ張られるのは仕様がない

2月26日には未だに理由もなく死にたくなったり、26日付近、月末は訳もなく不安定になる

過去の自分に引っ張られているのだと思っている

 

つらかったんだよ!って泣き喚く子をあやしている気分になる

辛かったよね、ごめんね、って言って、忘れてないから大丈夫だよ、って宥めてる