遺言

一緒に生きたい

かきなぐり

また、加筆修正します

 

自分の為に、好いことをする時間は素敵

一人であるときは一層感覚が鋭くなる

だからひとりきりのとき。

とりわけ不快感の強い夏

お湯を沸かす。いつものフレーバーを淹れる

汗で張り付くシャツを脱ぐ

シャワーを浴びる

好きな匂いのシャンプーで髪を流して、身体の隅々までたくさんの泡で洗う

全身丁寧に剃毛する

柔軟剤の香りのシャツを着て、その足で小粒の製氷皿にできた氷を取り出す

作っておいたお茶を、雑貨屋で見つけたお気に入りのシンプルなダブルウォールグラスに注ぎ、氷を溢れる手前までたっぷり入れる

髪を乾かす

ボディクリームを塗り、ベビーパウダーをはたきながら

爽やかな音楽をかける。クーラーの効いた部屋、くるくる回るまっさらな洗濯物がぎらつく陽を遊ばせている、部屋がきらめく

アイスティで喉を潤し、一息ついて、替えたばかりのシーツに横たわる

敏感になった皮膚が滑らかなシーツを滑る

この雰囲気に合う話を選んで読んで

読み終わったら爪を塗る

翳り始めて橙色になった光がガラスボトルを透かす 部屋を満たす

 


やばい、死ぬかもな

って思ってただけで実際は別に危なくなかったのかも

でも「死ぬかも」って思ったってことは、

やっぱり(感覚的経験的に)尋常ではなかったんだろうけれど

急速に失われて血が足りなきゃ失神したりするけど、それだって正直 誰も駆けつけなきゃしばらくしては、と目が覚めて、あと少々辛いだけの気もするし

熱中症みたいなのも意識あって点滴で済むなら割とよくあること、か、?

DXMの時もあ死ぬかもな、とは思ったけど、そもそも死ぬような量ではない(知らんけど)

 


ただその時、本当に死ぬかもしれない。そうしたらどうしよう、やだな、まだ死にたくない

という感情に支配される

死にてー死にてー言っておいて現金だと思う

でも死ぬのは怖い どうなるんだろう、これから、って、

眠りがそれなら、ほんとに、ああどうしよう、と思うまに、死ぬのかな

もう今更自殺なんてしても、なんの面白みもないが

あの時死んどきゃな、とか勝手なことを思う

それは今死にかけてないから思えることだな

贅沢だ

 


私は前の人に嫌われて別れたわけで

別れる前、それなりの期間友達だった

友達になったのだ

私の好きとかそういうのの形が、彼女のと合わなくなった

だから友達になるんだよ

それ以外はもうないよ

そんなことを言われて、ああもう、あの日々は二度と戻らないんだな

と、喪失感に泣いた

その頃何度もそんなやり取りをしたけれど、明確な終わりは、2人で東京にオープンキャンパスに行った日の夜

背を向けられて、知らない布団で泣いた

好きの形を合わせる というのは辛いなと思う

久々にそんなのを思った

こちらが多すぎても、足らなすぎてもだめ

方向性が違っても、望むものが違っても

 


そいや、最近夢を見た

3人で遊んでいて、私が幼稚な態度をとった

嫌うなら嫌えば?嫌っても別にいいよ せいせいする。

思っても無い言葉が口をつく、まるで昔のように

そして果てには彼女に見限られてしまう夢だった。

今思えばあれは、愛を試すのと同時に、自傷をしてる時とおなじ心地になって、自分を宥めているようなものだった

嫌われて当然だ そう思うことで、自分を守っていた これはあっちの家でよく貶されていたから、じゃあなぜ自分だけがこんなに貶められているのかと言えば、思い当たることがないなら、それは自分が悪いから、嫌われて当然だから、なのだ

私の中ではそれが当然の思考回路で

ああ間違ってるなあ、と遠くで思う

思ったところで、知ったところで、どうしようもないから、未だに

結局幼い頃と同じで、私の何がいけないの。と言う疑問は解かれることもなく、無理矢理上塗りした自分が自分だから悪 という感情で押し潰される

そうしないと涙が止まらなかったから仕方がないのだ

泣いていると笑われるから、早く泣き止まなきゃね

 


そしてもうひとつ

作中、泣いてた。子供のように駄々をこねて、いやだいやだって でも周りは自分を宥めるだけで、救ってくれはしない

そんな描写をみて、また昔を思い出した

私の場合、あかちゃんみたい。と言われたけど、正にその通りだったんだろうな

なにもかも思い通り行かなくて駄々こねて子供みたいに聞き分けなく喚き散らす

だって、じゃあどうすれば良かったの?

誰かに助けてって言えなかったから悪いの?

頼っていいこととだめなことの境界がわからない

そもそも受け入れられるか拒絶されるかのふたつしか考えられないのに、助けてなんて恐ろしくて言えるわけがない

それに助けられるわけがないと知ってる

私が腕を切ったりぶつときのきもちは私以外わからないからだ

他のどんな方法でもだめだ

だめなときはだめだ

私が悪い理由を、私に納得させるためには、自分を傷つける以外で、証明できないから

 


大事って言うのは何も、恋人だけではなくて

家族もそうだし、私には友達がいないけど、

友達ではないけど、多分友達と同じくらい大事な人たちがいて、でももう、どこにもいないかもしれない。と思うと、ふと思い出すたびさびしくなり、だめ。

はかなくてこの世ではとても生きていけないような、けれどしたたかに美しいひと

済う、とは 物理的なものも勿論あるけど、そうじゃなくて、私はそういうひとたちに、すくわれている

手を差し伸べるだけが救いではない、と言うのを、私は知っている 私はあのひとに自分を重ねることで、あのひとの息の仕方を真似て、あのひとのこころに近づこうとすると、私は私であることを、まるで赦されたような心地になった 世界がうつくしくて、遠く、優しくまばゆい あのひとが好きだと言う橙の風が、あのひとの髪を揺らし、ここまで吹いてくるような、そんな気持ちになる時、私はあのひとを慕う気持ちごと、私を愛することができる 呪いは解けないが、それでも全く嫌悪し続けるだけの醜さからは脱せた ひとりでいるとき…あのひとが肯定するこの世の美しさと向き合う時、私はひどく優しいこころになって、そんな私が、私は好きなのだ。それはまごうことなき救いであり、幸いなのだと、そう思う

 


想うと胸が苦しい 私はとても汚い 憧れるなんて身の程知らずだ 私は、私を無くしてあの人になりたい「ように」ではなく あの人に。きっと選んだよいものは、彼の人の上澄みだけ掬ったうつくしい感情に重なるもの 苦しみや悲しみから染み出た涙のようにとうめいな。触れると切なさが込上げる 私はあの人にはなれない 夢の様に、彼の人の中からものを見るような心地がして、だけれど限りなく、輪郭をなくしてまでも私であることが、切ない

 


ブログで出会ったあの人も、「私」という人間に、というよりは私のようなみじめな人間に、何かしら、庇護欲めいたものを感じたのだろうと、今、思う 同情もあったと思う、あの人も辛い日々を過ごしてきたから、私のようにすり減らしている人間を放っておけず、十違う私に、かつての自分を重ねていたのだろう、とも それが善いのか悪いのかは判らないけど、それでも友人のように過ごした日々は楽しかったな、と思う ただ、どんな期待を寄せていたのかは分からないけど、私があまりに孅く繊細なうつくしいひとで無かった為に、あの人は「私」に失望して去っていったのかもしれない

果たして私たちは何だったのだろう、と考える 友人と言えば友人なのかもしれない、でもあの人は私のことをどうしたかったのだろうか 私を守りたかったのかもしれないけれど、守るとは一体どういうことなのだろう 私が辛いと訴えるものを一切断って匿う事?きれいなことばに包んだ諦念をやさしく撫ぜ合う事?彼女から寄せられたものは、一方的なものだったように思う 私に優しい言葉をかけることで、自分をなだめてるように感じた だから、私がどうこう、というよりは私のことを思い通りに扱うことで、癒されたかったのかな、と。そしてそれは決して、わるいことではない 私がそれをもっと早く理解して、その通り振る舞えなかったから、終わってしまっただけ

 


ふと、私はどんなことをしてもどんなふうに生きてもいいんだな、と頭の中で思うことがある いきたいとことかやりたいこととか でもそれを叶えることができない 自分というものがしっかりしていたなら、自分の信念に従えばいい でも私にはそれがない 誰かの最良に従っていなければ不安になる 誰かの目に映る私が正しくなければ私にゆるされない 善いものでなければ認められない でも私はそこまでちゃんとした私になれなくて 私が一番欲しい肯定を私はくれない 誰もいない私ひとりならこれでもいいかと思えるのに、他人が居ると、その人がどう思うかで私の価値や意義は簡単に揺らぐ 否定されたら、死ぬべきだと思う どうしてこうも私は思い通りにならないのか、上手くやれない私にも、誰かに従わせようとする私にも嫌気がさして、もうここにいるのは無理だ、となり、駄目になるか逃げ出してしまう 誰が私を認めて受け入れてくれても、私をゴミのように見る人の方が私にとっては大事らしくて、惨めで苦しい

ずっと足を引っ張られている

小さい頃の私が理不尽を訴えて、一生埋まらないからっぽの安心を誰かに埋めてもらおうとしても結局満たされない

まさにその私が許さないから 私が認めないから 受け入れないから 私がいいよと言っても、良くないと駄々をこねる 無い物ねだり

いっそちりぢりになってどれがどれだか分からなくなってしまえばいいのに