遺言

一緒に生きたい

齟齬

今回生理が重めだったので叔母さんにもう終わっちゃったからと貰った夜用のをつけてみたけれど、粘着がほとんどないくらい弱っていた。私は夜用を使うほど重くないから殆ど使ってこなくて、元々こんなものなのか、それとも相当昔のなのか、と思いながら、勿体無いのでつけた。固定できてないけど大きいのでカバーできる感じ。

もし元々そうなら失礼だけど、随分昔のものなのだとしたら、叔母さんのことを思うと、なんとなく切ない気持ちになる。

前見たアンケート結果の中では、多くの女性が「折角女に生まれたのだから一度は子供を産んでみたい」という回答をしていてゾッとしたけど、それがもし命を軽んじてるのでなければ、気持ちが分かる気もする。折角だとか勿体ないという気持ちではなく、なんというか、女という性に背く感じが、後ろめたくて。

子を授かった友達だった人が、性に引き寄せられるというか、操作されるような感覚の話をしていたような。今になって、その感覚がわかるように思う。

私は子供を産む予定も気もなくて、それで良いと思っているのだけれど、心の奥では昔のように気軽ではいられない、焦りがある、このままで良いのかな?と。勿論子供を産むだけの、成熟した己も諸々の余裕もないから結論は変わらないけれど、それでも…

例えば私が人間じゃなくて、知識もお金も無い、生きるために生きる生物だったなら、子を産んだかもしれない。人間には子供を産む選択の権利と義務があるけれど、本来、雌という生物は疑いようもなくそういうものだと思うから、女の身体と仕組みを持っている以上は、やっぱり手放しにこれで良いと思えないところがあるのかも

リミットがある。叔母さんは、もう子を産めない。それは、すごく切ないことのように思える

もう終わっちゃったから。と残った生理用品を渡してくれた叔母さんの顔が寂しそうに見えた。私がそう見ただけなのかもしれないけれど、

 

過ぎ去っていって、無価値の私を赦す唯一の理由、この世界を構築するピースでさえ無くなって、流れから外れていく、その感覚も怖い