遺言

一緒に生きたい

願いごと

今日はいとこのお姉さんとお母さんとお昼ご飯食べに行った。毎年GWには母方の実家で飲み会をするのだけど今年はそれが無理そうなので、人のいなさそうな近場の湖でキャンプをするか、という話が上がった

そこには、お姉さんの恋人と、同い年のいとこの恋人も来るらしく。妹も彼氏と一緒に来ればいいのに、って 私は彼女さんのことを話していないし、呼びなよと言われることは無いのを知ってはいるけれど…なんか、すごく羨ましいなって思った

 

もし私がふつうで、彼氏がいたとする

そしたらそういう話になって、みんながそうだったように、写真を見せてと言われるかもしれない。どんな人かもごく自然にきかれるだろうな そんな話をするうちに、愚痴や惚気とか1歩踏み込んだ話、仕舞いには下世話な話にも、女同士なら発展するかも。そしていつかは、こうして集まりにも呼ばれるようになるのかな。

でもそれが同性だったら?ふつうを絵に書いたようないとこの家族の目にはどう映るのだろう、そうなんだ~と流されて終わり?深く訊かれたいとは思わないけれど、なんというか腫れ物に触れるような扱いを、されるのかなと思うと妙に切なくなる

心の中ではいつも彼女さんが好きでそれが誇らしい。こんな素敵なひとと恋人でいられること、優しくて面白くて可愛いこのひとが私の彼女さん!って、とても自慢なのだ。けれど言葉にして他の人に、胸を張って「この人が私の彼女さんです」と言えるかといえば、躊躇いがある

彼女さんを傷つけられるかもしれない、そうしたらそれに私も傷つく それはなくても、もしかしたらふつうではないことに気を遣わせるかもしれない、それも嫌だ

 

お姉さんは少しずつ準備を始めていて、近々結婚するつもりだと言っていた 妹にも結婚の話が出つつあり、結婚について考えることが増えた。結婚によって守られる権利もだけど、それ以上に気持ちや、周りの目について、やっぱり結婚というものはとても大きいものなんだな、と思った。彼氏なら、集まりに呼ばれない。今までに彼氏が参加したことはなかった。じゃあなぜ今呼びなよ、と声がかかるかといえば、結婚というものがその先にあるから

決して安直に考えているわけじゃない、と思う。それだけ大きな意味を持つ結婚というものがいつか同性にも認められるようになったら、その時は冷ややかな目も差別もまるごと押し退けてしまうほどのちからで、私も、ふつうに、平等になれると思うんだ 傷つくことは変わらないかもしれないけれど、気の迷いと思われることもなくなる

何も変わらなくてもいい、何も変わらなくていい、集まりに呼ばれたいわけじゃないし、普通の恋話が出来なくていい ただ、みんながするようにこのひとが私のお嫁さんで旦那さんなんだと、言いたい

みんながそうであるように真剣なんだって認めて欲しい