遺言

一緒に生きたい

昨日のこと

私が差し上げられるものなら何でもあげたい

私たらしめるものがこころだとするならそれを殺すことで生きようとした私は、間違っていなかった、と思う

そうしなければ耐えられなかった 生きるのも死ぬのもいやだったから

だけど、そういう努力?をしているうちに境界が曖昧になって外に自己が漏れだしていく

或いは、自己の中に無限に広がって薄まっていく

そういう感覚がした

 

「自分が大切」というのは失っていない

私は私のことを恨んだりしないもの

恨んでしまえば何もかも間違いだったということになって、本当に許すことが出来なくなるから、それは嫌だ それは、ただただつらい。

不快より快でありたい。苦痛より楽がいい

多分それはみんなおんなじで、

「みんな」の中でたったひとり、守りたいと思うひとに、全部あげてもいい、と思う。思っている。嫌じゃなければ、なんでも。

 

薄まった自己は夕空のように淡い

達観しているんじゃない、本当は諦めているの

諦めなければ許せないものが沢山あったから、諦めることで受け入れて認めた。

だからちからになれるなら、本当になんでも。

捨てるような無価値なものではない、少なくとも私にとっては大事な私、の、差し出せるものを、

諦めている。でも、諦めきれないことや、受け流すことが出来ないことだっていっぱいある

つらいのは、嫌だ。悲しいのは嫌だな

嫌だなって思うことから庇いたい

私だって嫌だったの

過去は変えられないけど、未来は変えられる

どうかせめて優しい未来が

暖かい未来が、さみしくない未来が、あなたを迎えてくれますように

そう願うことに躊躇いはない

 

ありがとう…その言葉と、涙をくれて

私、本当に嬉しかったの

だからちゃんと守りたい、大事にしたい

特別にするのも、特別になるのも、自由をうばうみたいで、いやだったの

でも、私の嬉しいを抜きにしても、願いは変わらないよ、きみが幸せであることを願ってる

そばにいる、ひとりにしない

で、許してくれるなら、一緒に、楽しいことをしよ、いっぱい。

満点じゃなくて全然いい、けど、おひさまのちかくにいるほうがあったかくていい

私は日向への行きかたを知っている。だから時々はそこにいって、日光浴をするのもいい、のかも

ひとりではこわいけど、きみがいっしょなら行ってみたい。