遺言

一緒に生きたい

おやすみ

お腹がいたい。大学の頃、咳止め80T一瓶を丸々飲んだり、講評前に眠剤を続けて飲んだり、そういうお腹に負担のかかることをしたときも、こういう痛みがあった 多分お腹が疲れているんだと思う 詳しくは、分からない。なにかもんだいがあるのかもしれない。何かあっても、そりゃそうだよね、当然自業自得なのだ。何もかも自分で蒔いた種。薬を飲むと楽だ 気が大きくなると、なんでも許せるようになる やめておこうかなと思ったこともやってしまえる。その結果悪かったことも、良かったこともある。抑圧されていたすべてが楽しげに飛び出して笑う なにも間違っていない。満たされた心地になる。

でも薬が切れると地獄だ 離脱症状的なものでは無い。記憶が一切ない事だ。好き勝手やったツケを、何も知らない私が受ける。私はこんなことをするような人間じゃないという相違に1番傷つく。

 

自分はさみしいのかもしれない。誰とも関わりたくないといいながら、誰ともかかわれないことが苦痛で仕方がない。もっとみて。やめてみないで。こんなの寄越さないで。もっと愛して。私のこころは、メイちゃんの底抜けバケツといっしょ。注いでも注いでも次から次にこぼれおちていく。

そんな私でも、幸せを感じる。まさにいま、眠たくて全身脱力した状態でベッドに仰のいてる。おふとんは、ママ 愛情のかたまり 抱きしめて、頬ずりして、匂いをかいで。ねむってもいいよ。そう言われている気がする。一層おだやかにねむたくなって、この瞬間は、いつもやさしい

最近おうちに来たぬいちゃんのうゆゆくん

彼も抱きしめてねむる おやすみなさい

みんなも、良い夢を