遺言

一緒に生きたい

私が死んだ時には

人はいつか死ぬ。生きてるものはみんな死ぬ。生きてないものも、この星が生きている以上、いつか全て粉々になって、ばらばらになって朽ち果てて、何もかもなくなる(名前のあるものはなくなるけど、大元であるものは無くならない、のかも)。

ひょんなことから、死後肉体がどうなるのか調べてみて、あー死ぬとこれは私のものじゃなくなるんだなあ、と、沁沁思った。心すなわち私という存在は、脳みそに在る。身体が死んで脳が活動を止めたら、この身体の中に居るあれこれがこの身を食べて、外へ出ていこうとするのかな。恐ろしいことだ。

恐ろしいことだ、というのは、私が人らしい形を失う事に拠るのかな。冷たくなることも、色がおかしくなることも、腐ることも、臭うことも、何もかも、恐ろしい。でも私はそうなる時にはどこにもいないのに?…居ないけど、それを処分するのもまた人だ。人に人非らざる醜態を晒すのが、恐ろしいのだろうか……

この世界は巡っていくから。私が死んだら、私はどこかに行く。輪廻転生なんてあんまり真面目に考えないけど、呆気なく失くなって、無くなったことにも気づかないのかもしれないけど。

それでもこの世界に留まることは無いと思う 悪霊や心霊は生者が恐ろしく思う心に拠る。そうじゃなくっちゃ、とてもじゃないがこの世はキャパシティが足らない。死ぬという絶対的な隔離からは、だれも、意志も魂もなにもかも、逃れられない、と思う そうして否応なしに世界から切り離されて、遺されたものがこの世で命を生きていく。だから…死んで虫に食われて溶けて腐って、いずれ跡形もなく無くなっていくことは、人らしく思わなければ。何も恐ろしいことではない。この身がより上位の存在に食われないというだけで、全ての生物は等しく何かの糧となり消えていく。悲しいことではなく、新しい命になって、世界を構築すること。一部となってこの世の環のうちを巡るということは、とても素晴らしいことだ。と、私は思う

 

だけども全くそう思えるかと言うと難しい。死ぬのは怖いから。私が私でなくなることも、後始末をする人に迷惑をかけることも、みんなみんなこわい。本当は何もかも持って行ければいいけど、それは無理なお願いだものね

せめて私が死んだら、醜くなる前に、だれかが処分してくれたらいいのに、とは。