遺言

一緒に生きたい

調子の波

1番しかなかった。1番のものだけが偉い。1番以外は認められない。他はゴミ屑でしかない。

そうやって見下され扱き下ろされて育ったのと、幼い頃認められたくて頑張った私が、どんなに頑張っても敵わないのは、自分が1番を取れないどうしようもないくずだからだ。と納得する為

自虐だし捻くれてるのは解っていて、だけどそうでもしなければ、気紛れに褒められる妹や他人を許せなかった。自分は馬鹿だ、出来損ないだと自棄になって自分を痛め付けてる時だけ、安らかだった 

 

けれどそれは違うということに、少し前に気付いた

1番だけが優れているという考え方は、高校生の時くらい。自分がゴミ屑だという考えは、未遂してから。

でも常にそう思えるかと言うと、まだまだ全然

特に、他人が自分を見る目については、納得することが難しいことがおおい 自分が誰かを見るとき、その誰かにとって1番だけが一等良くて、他のものは全て悪いなどと考えていないということはよく解る。けれど、誰かが私を捉えるとき、やっぱり私が1番じゃないから、劣っていると見られるのかなとか、どうしようもないと思われてるのかもしれないと不安になる

利害の話も同じ。自分から誰かを見る時、その誰かと他の誰かが一緒にいるのは、利害とは離れたところにある、情緒的な理由…好き、愛しいという気持ちがあるからだというのが当然理解できる。けれど、それが誰かから自分への見方に変わると、途端に自信がなくなる 優れていなければ、一緒にいるのに足る理由がなければ、勿論認められないし一緒にいても貰えない、相応しくない、という評価に変わる

あたまでは「ちがう」ということが解っていても、どうしても不安になってしまう、時がある。最近、それは断続的なものだということに気づいた

不安でしょうがない時と、そこまで気にならなくなる時。

不安が強いときは、あまり余裕がなくて、自分はもう嫌われているのかもしれない、と、根拠もないのに悲しくなったり、楽しくなかったら嫌われちゃうかもしれない、他の誰かをすきになっちゃうかもしれない、と余計に不安が増していく

でもそれはずっとは続かなくて、暫くすると、そんなことは無いと冷静になる。他の誰かは誰か。私のことをとても大切にしてくれていて、それはありがたいことで、とても嬉しい。と、余裕が出てくる。

何がきっかけかは今のところよくわからないし、そもそもきっかけがなくても、そういう波があるのかもしれないけれど……

不安が強いときの良い対処法が見つかればいいなと思う まだ、今すぐに不安にならない方法というのは見つからないし、そもそも不安になる原因が根深いものだから、そう簡単にはいかないと思う。だから、上手くやり過ごす方法が見つかればなあ。

矢鱈に不安を撒き散らして面倒に思われるのも、それで傷つけたり悲しませたりはしたくない。自分の気持ちの問題だけで、相手には何も問題が無いから、どうにか自分で処理できたらな

出来たら自傷行為じゃなくて、いい方法で乗り越えられたらなぁ