遺言

一緒に生きたい

償い

これでも性というものについて受け入れられるようになった方なんだ

妹たちの性事情を聞かされても流すことができるようになった

前はそれさえだめだった。そのせいで、妹も、寂しい思いをしたと思う。いとこのうちでは当然に行われる姉妹間での恋愛話や相談も、私には無理だった。そういう話になると、寒気がして、すぐ嫌悪感でいっぱいになってしまう。

少しずつ受け入れることができるようにはなっても、見て見ぬ振り、で精一杯だった。妹は私の前では、彼氏のことをずっと「友達」と言っていた。それは気遣いであり、直ぐに取り乱す私を避けていたのもあると思う

妹には好きな人がいて、いずれ家庭を持って、この家から離れていく、この家の一員ではなくなる。そしたら母や父は誰が面倒を見て、看取るのだろう

私が家庭を持つことは無いから、それこそ私が果たすべき義務であり唯一できる恩返しで、存在意義でもあるように思った。だれけどその為には欲や願いを全て捨て去らなければ、妹が当然の幸せの中で生きていくことも、私自身のことでさえ、許すことは出来ない。私が私であるうちは、生き続けるのさえつらいに違いない。心なんて死んでしまえばいいと思った。心が死んだとしても、私が私であることさえ覚えていたなら、それで済むはずだから、きっとみんな笑ってくれる

 

心を殺す方法がわからなかったら、死のうと思った。今年中に、みつからなかったら…恩を仇で返すといえばその通りでしかない、けれど

せめて私が、私のことを逃がしてあげられる最後の機会だった。謝っても謝りきれない。もう、許して、欲しくて、

 

それでも………今は遠くから眺めることができるようになった。だから、結婚するときには、おめでとうと言ってあげることが出来ると思う

だけど、こどもの話になったら?

何も言えないかもしれない。パニックを起こすかもしれない。そしたら、妹も母も、色んな人が傷ついて、私は一層頭のおかしいひととして認識されるのだろうなと思う 頭のおかしい身内なんて、人と人との関わりの中で生きていくみんなにとっては枷にしかならない…辛い思いをさせてしまうならいっそ、こんな心なんて死んでしまえばいいのだ

私が心のなかでゲロ吐いて、自傷していても、表情と声音がその場にふさわしいものであれば丸く収まるのだから

それをみんなは望んでいるのだから、

 

命というものを、人というものを、きれいに受け止めることが出来たなら、当然認めることが出来たなら、こんなふうに色んなものを憎んで生きることも、私自身を傷つけることだって無く、みんなと同じように生きていけたんじゃないか

どうして私は、みんながおめでとうと祝う素敵なことを、そう捉えることが出来ないのだろう

見憎くて穢いのはどう考えても私なのに、醜くて受け入れられないだなんてあまりにも