遺言

一緒に生きたい

2018/10/19

今頃、というかほんとに一年前の昨日

19日に日付が変わって切った傷はその日の夕方、整形外科で縫ってもらった

初めての経験だった。良くも悪くも中途半端なメンヘラの私が、まさか縫合するような傷をつけるわけがないと思っていたから

 

去年の昨日は、本当に辛かったし寒かった

寒いのは今もそうかな、

雨が降っていた。夕方、学校の看護師さんに勧められて、縫合が終わって帰る頃にはもう真っ暗になっていた

寒くて……お風呂、入浴剤入れて、ゆっくりはいった。お茶も淹れた。安心できるように、あったかくして眠った。けれど、

先の見えない、真っ暗な夜と同じような日々の連続だった

なんとも言えない、虚ろで不安な日々だった

私は怖くてそこからなんとか抜け出したかったけれど、どうしたらいいのか、どこへ行けばいいのか分からなかった

 

去年の秋は、薬で目を回していて、覚えていないことが沢山ある。

雨の中、病院へ連れられて、

検査結果待ちの時間か、2回目の縫合までの間、寒かったけれど、病院を出て近くのスーパーでパンを沢山買った。幾つか、イートインで食べた。バターの香りと優しい甘さのミニクロワッサン。でも、薬のせいで、美味しいと思えなかった。それからそのあと薬局で包帯やガーゼを買って、病院に戻った

その日は、大事な心理の日だったのに、突然入った病院のせいで、それが潰れてしまってすごく寂しかったんだ

 

10月、11月と、

何度か実家へ送り返されて、

記憶のないまま自傷して、

病院もたくさん、色んなところに行った

1ヶ月のうちに縫合、2回もしてもらって、

寝てるうちに右肩脱臼したりもして、笑

色んな先生や看護師さんがいるなって思って

そんな忙しくくらい日々を送っていたら、11月の半ばには退学を求められて、泣いて喚いて、

もう、あとは覚えていない

死んでしまったから

 

薬を飲んでいるとき、私は強くなれたの、

薬を飲んでいない時、私は弱くて、

薬を飲めば飲むほど、どんどん弱くなって

何も耐えられないほど、だいすきなひとにあうのも耐え難い苦痛になったから、だから記憶を代償に強くなってふつうを装った

そうじゃなきゃ耐えられなかった

腕をいくら切っても足が震えて儘ならない

 

薬を飲んだ時に現れる、彼女、は、とても不器用だったけど優しかった

強くて優しかった

弱虫の私なんかよりずっときれいでしたたかだった

純粋無垢なあの子にいやなもの、全部任せて、私は逃げて、あの子に守られて、なんとか、なんとか生きていた

あの子も私も覚えていない、大事な人のことも、忘れたくない辛い日々も。みんなみんな真っ暗な時間の隙間に零れ落ちていって、

私と…彼と、彼女だけが、去年の寒い夜を寄り添って過ごした

 

生きていた

生きていたから、不幸だった

だけど、生きていられて、幸せだった

苦しかったのも辛かったのも忘れないよ

今は忘れない

ちゃんと覚えておくから、もう、