遺言

一緒に生きたい

2020.06

おじいちゃんが入院した。6月の初めにベッドから落ちて、足が痛むと言って町医者で見てもらったものの異常はなく、それでも先週の半ばまではいつも通り庭でタバコを吸って居たけれど、金曜日の昼、熱と黄疸が出て、救急車で運ぶかどうかという話をした。その日の夜、隣町で暮らしてるおばさん(娘)が別件で帰ってくると言っていたし、父も帰ったら話してからでも遅くないと思い、排泄はしているが水分を取ってないこと、熱があることから脱水かもしれないとポカリを飲ませたところ、熱は落ち着いたので、一先ず様子見ということになった。

今日、病院に連れて行って診てもらうという話になり、病院に電話したけれど地元の総合病院は外来は受け付けていないし、おじいちゃんは病院嫌いで病院に行ってなかったから紹介状も書いて貰えず、どこも受け付けられませんとの事だった。どうしても、ということなら救急車を呼べと。おばあちゃんが何件か電話をかけて、先の町医者が診てもいいと言うことだったので、そこで診てもらうことになった。

そこから救急車で総合病院に運ばれて、精密検査をしたところ、すい臓がんだった。詳しい医者が今日は来ていないからまだ治療がどうなるかは分からないけれど、手術はせず、抗がん剤治療になるらしい。

金曜日、おばさんは会社で貰いすぎた花があるから、と、仕事帰りに隣町から来た。おじいちゃんは昼間よりは熱は下がったとはいえ、顔も黄色くて、明らかに尋常では無い雰囲気がしていたのに、おばさんはなんともないらしいからと言ってさっさと帰ってしまった。それも、来てすぐおじいちゃんの顔を見てるかと思えば、おばあちゃんに呼ばれて、嫌そうに返事を返し、嫌々おじいちゃんのところへ行って、軽く挨拶しただけだ。本当に薄情な人だと思う。今日は休日だと言うのに、会いにも来なかった。

 

お風呂で、赤とんぼを口ずさんで泣いてしまった。私が幼い頃庭にあった小さなブランコで、おじいちゃんはよく、赤とんぼを歌いながら、私の背中を押してくれた。少なくとも私の記憶の中のおじいちゃんは、静かで、不器用でも優しい人だった。確かにずっと一緒にいたからこその無遠慮や嫌なところが見えるというのもあるとは思う、けれど、だからと言っておじいちゃんに酷いことを言っていい権利なんてあるわけないのに、おばさんも父も、おばあちゃんも本当におじいちゃんを無下に扱ってきた。家族の集まりで繰り広げられてたのは、まさにいじめそのものだった。お盆や年末にしか集まらない家族にお酒を飲んでこぼしたい愚痴だって些細な文句だってあって普通なのに、それを頭ごなしに叱って貶して、人格を否定して、早く死んじまえと嘲笑って怒鳴りつけて、それを私にたちにも強要した。お前も言ってやれ、じいちゃん早く死ねよって……そんなこと言えるわけがないし、そう言われて黙り込むおじいちゃんは涙ぐんでいた。けれど私たちも、おじいちゃんを助けてあげることが出来なかった…おじいちゃんの味方をすると、馬鹿にされて異常者扱いされてわらわれて叱られるから、私達もじっと耐えるしかなかった。

おじいちゃんは仕事を辞めてから認知症になって、あっという間に今のようになってしまった。おじいちゃんだって辛かっただろうけど、こうなってしまったおじいちゃんのほうが柔らかく笑うようになった。憑き物が落ちたように……おじいちゃんは、耐えられなかったんじゃないかと思う。

おじいちゃんに、どんな酷いことをされていたのか、どれだけにくいのか、私は知らないけれど、いくらひどい扱いを受けて嫌っていたって、傷つけたら罪なんだ。同情の余地はありすぎる、私も父が嫌い。たくさん傷つけられたし、許し難い。けれど、それを理由に父に酷いことをしていい訳も、傷つけていい理由にもならない。例えどれだけ憎んでいても、育ててくれた親に違いはないのだから、せめてこれからは、誠心誠意親孝行するべきだ、と私は思う

 

おじいちゃんは……頑固で不器用だったけれど、家族想いの優しい人だ。お兄さんを亡くしたとき、そのお悔やみ欄のちいさな切り抜きを、トイレの壁にセロテープで貼り付けていた。曲がってはいたけれど、おじいちゃんはちゃんと大事にしてた。口にすることはなくても、大事にしていたんだ。