遺言

一緒に生きたい

好きになっても、いいの

今更、誰かを好きになってもいいのか、とか、怖気付く

好きになるの自体はこわくない。勝手に好きになって、好きですって伝えること。要らない、と言われたらゴミ箱に捨てればいいような、私だけが抱える好意なんて、怖くない

けれど、好き、と言われたら、そんな風に好意を寄せて貰えるのは、私には不相応なんじゃないかって、思う。だから、こわい。

わたしが返せるものを数えてみる。好き、なんて、そんな素敵な感情を、貰えるなんて、泣いても泣いても足らないくらい、嬉しいのに、不安で仕方なくなるの

私が好きになる人たちはみんなとてもうつくしいから、好意を寄せても当然だと言い張れるの、でも、私には何も無いのに、どうして、そんなふうに言ってくれるの…思ってくれるの?

何を差し出せるだろう。こんなからっぽの木偶でいいなら、いくらでもあげられるのに。それこそいのちまでまるごとあげられる。でもそれだけじゃ、足らないでしょう?

ああ、私が抱く好意だけなら底無しにあるのに、与えられる好意を受け入れるのが、こわい、だなんて…

でも与えられるそれは、関係性も、枠組みも、甘やかで優しくて嬉しくて、こんな気持ちになるの、あまりにしあわせで、とても、とても…

 

きみの2番でも3番になってもいいから、どうか嫌わないで。そして、私が大事にしたいきみを、どうか、大事にすることを許して欲しい

こうして分け与えられるだけの体温がある、木偶でも…それでも、生きている人間として、あなたにあげたいものがたくさんあるの

どうか、きみが寂しくないように、寄り添うことを、ゆるしてほしい