遺言

一緒に生きたい

いのち

絶えず細胞分裂を繰り返すということは遺伝子というものをそれだけコピーするということで、複雑な遺伝子配列は難解な文章のようで、それを毎日全く同じに書き移せと言われたら多分私はいつか書き間違えるし、消しゴムで書き直しても間違えたことにすら気づかないこともあると思う

それを校正してくれる人さえもそれに気づかなければそれはがんとなり体の機能を狂わせて、やがて死に至る。

 

そう思うと生きていることは本当に奇跡だと思ってしまう

からだのどこもかしこもが正常にはたらいてくれるから私は今生きている。

 

今日は海に行きました

澄んでいて天気もよかった。でも、テトラのそばまで行くともう底は見えない。浮き輪の紐を手に、2メートルほどの深さで潜って5キロくらいの石を拾って、それを抱えたまま浮上しようとしたら体が浮かなかった。とても片手では持てなくて手放して浮き輪を掴んで、やっと息を吸う。ここで息を乱せば、あっという間に死ぬだろう。そう思いながら石が海底に落ちていくのと、海面で揺らめく太陽を見ていた。それはほんの一瞬だけれど、浮き輪をつかむまでに見た海中はどこまでも翡翠色が無闇に広がっていて、本当にたったひとりなんだ、と思い知った。この感覚は初めてじゃない、幼い頃から知っていた。だから私は海が怖いし、それだけ好きだ。海は神さまに似ている。何もしないけれど、たくさんの命を与えてくれるし、命を奪うことに躊躇いなど一切無い。そういう冷たさが、神さまに似ている。神さまはきっと、願いや祈りなんて聞いてやしない。実際は与えも奪いもしない。私たちが生きることのできる場所に、息づくことを許す、それだけの…

海水はしょっぱいし日焼けはするし海底も魚も居るけど見えない、暗い、畏ろしい、くらげにさされたり怪我をしたりひょっとしたら死んでしまうかもしれない。それでも海が好きだ。

 

冷たいのに、とても優しくて