遺言

一緒に生きたい

堂々巡り

好きな理由も、嫌な訳も、なくても良いものに理由を探して、だから「善い」とか、そんなことばかり言って、

理由を探して定義することは楽な面もある

でもそうしていくうちにどうしても理由をつけられないものを好いと思ったり避ける方法さえ不明瞭になってって

そういうのはすごく、苦しい

手放しで好むことができたらどれほどいいだろう

頭のなかで無駄だと解っていることが好きだと言い切れたらどれほど

それとも、誰かがそれでもいいと言ってくれたら、やっと私はそれを許すことができる様になるのだろうか

 

自分を制御する為に自分を明確にしていないと不安になる

時々コントロールがきかなくなって、その時はみ出た自分を、許すことは出来ない

無理やり箱に抑え込んだ自分が死ぬのを待ってる

じゃないと私が生きていけない

 

許すことが出来ないからつらい?

認めることが出来ないからくるしい?

どこにもいけない。という感情

に、似ている

死にたいとか、もう死ぬしかない、とか

抑圧していた私が入れ替わる

ここはこんなにくるしいのか、と解っていても、ゆるせない。早くもう一度入れ替わってと願う

忘れてしまう迄ずっと