遺言

一緒に生きたい

分からない(理解したい)こと

と言っても自分が上手く愛だの恋だのを理解してるとは思えない。愛は異性愛者でも同性に抱く事だって、親子間にもあることを思えば、とりわけ異性間で多く生じる感情の正体は恋なんじゃないかと思う

高校の頃の辞書でオワりまくってるが恋を引いてみると…広辞苑は独特だったけど明鏡「特定の異性を強く慕うこと、切なくなるほど好きになること」だった。性別はともかくとして確かにその気持ちはわかる気もする。

慕う…広辞苑「会いたく思う。恋しく思う。懐かしく思う。」「理想的な状態、人物に対してそのようになりたいと願い望む」明鏡「相手に敬愛や魅力を感じて、付き従いたいと思ったり追い求めたいと思ったりする。敬慕する。特に、目上の異性を愛する。恋慕する。」

強く慕うって、会いたいな~とか、すげえ尊敬してるからその人みたいになりたい!とか、付き従いたいとかってそういう気持ちなの?なんか偏ってるな…。何はともあれ、そう思うと辞書的に見る恋ってなかなかシンプルな気もしてきた。中身は色々あるけど凡そ上記のようなものだと思うと。

私は特定の人を好きになることがあるけど、それが上の慕うに該当し、その感情は切なくなるほど強いものだとして、でも恋なのかと言われると本当にそうなの?という気持ちにもなる。多分世の中の恋ってこんなにシンプルではないなにか…なんだろう…もっと複雑な気がしていて

例えば、嫌なことがあったらそれから守ってあげたい、身代わりになりたい、怖い時には寄り添いたい。そのひとが好きだというものを私も見てみたい。同じように体験して、どう感じているのかを知りたい、同じ気持ちになってみたい。そういうことを、強く惹かれる人に抱くことがある。これは恋なのだろうか?だとしたら、アロマンティックのひとはこういう感情を他人に抱かないという認識であっているのだろうか……

 

最近よく思うことは、別に、誰しもが差別的な思考で発言している訳では無いんじゃないか、ということ。私はレズビアンの気持ちは分かるけど、それ以外はからっきしである。なぜなら当事者じゃないから。自分の事じゃないことはきっと誰も自分の事のようには理解できない。だから教えてもらう必要があるが、インターネットで調べたり辞書を引くだけでは本当のことなんて何一つ分からないのが実情だろうなと思う。私は誰とも喧嘩したくないし傷つけたくなんてないけれど、本当を知らないせいで知らず知らずのうちに誰かを傷つけていたらこんなに悲しいことは無いなと思う。そしてそれを「差別だ」と切り捨てられてしまうことも…

出来たら色々と教えて欲しい。言葉の意味じゃなくてあなたの感じてることを、なるべく枠に囚われず、あなたはこうなんだって。マイノリティを表す言葉が多くて混乱するけど、あなたは一人しかいないから、それなら難しくない気がする。

無題

記憶は映像のように再生することが出来ず、写真みたいに断片的で、その中でもひときわ心に残る1枚の印象が私を取り巻く雰囲気になる

音楽を聴いた時に、その時の出来事と感情をふんわり思い出すのと同じように、私の記憶の連続性をつくりだすのは雰囲気と私が勝手にそう呼んでいるものだ

説明が難しいしみんなもそうなのか分からないけど、この雰囲気次第で、調子が良くなったり悪くなったりする

今私はここから抜け出せない。嫌な雰囲気だと思う。逃げ出したいような、息が詰まる

きっかけは誰かの発言と絵で、まるでその場に行ったような気持ちになった 勝手にくみ取ったもの寂しさが、愛おしさと共に締め付ける 私が想起したのは、一昨年の十二月に行った東京の夜の景色のような、夜の並木道、繁華街、華やかさから切り取られた孤独、こういう気持ちをなんと呼べばいいのか分からない 恋しい気持ちとも言えると思う 憧憬とも…

 

切なくなるのは、想いが叶わないからだ

そしてそれは逃げ出したいという感情に直結する

 

思うに私が誰かと関係を継続できないのは、私が異常であることも少なからずあるが、きっと自信が無い所為で、誰かの好意を信じられないからだ

好きだと言って貰えてもどうしても自分にそのような魅力的な点があるようには思えなくて、きっとすごく気を遣ってくれているんだろうと思えてならない すごく失礼な事だと思うし、本当に好きだと思ってくれたならこれほど嬉しいことは無いのに、そして一瞬有り難いと思っても、ずっとそう言い続けて貰えないと不安になってしまう。面倒くさい自覚があって、しかもあなたに好意を抱いているよと誰もが頻繁に確認し合わなくても当然信じられているのが「普通」なのを思えば、かなわないことだと分かっているので、そんなことを言って嫌われてしまうくらいならこのまま居なくなろうという思考回路である

自分は嫌われている、からのスタートで、好意を常に表明して貰えないとどんどん目減りしていって、こわくなって自分から関係を絶ってしまう だけど自分から相手に寄せる好意は尽きることがなく、絶ってからも何度も思い出して恋しくて苦しくなる。ずっとずっとそんな。そんなことを繰り返している。自分がもっとまともだったら、こんな寂しい思いをしなくて済むのかもしれないと思うと、自分が自分で良かったなんて到底思えなくて

誰かに愛されたいと思うからしんどいなら愛すことも愛されることも諦めてずっとひとりでいればいい、と言うのは正論だと思う

分かっていても人並みに生きたいと強く望んでしまうから苦しい

なぜ私はこうなのだろうと思うと涙が出る

夢の話(ちょっと痣の写真あり)

夢の中、車の往来が少ないアスファルト脇の芝生でピクニックをするおばあちゃんとこどもを見た

私は向かいの歩道からそれを、いいなあと思いながら見ていた

雨が降りそうな様子はないのに空は鈍色で、夕陽の金が一層眩しく、照らされたこどもの泣いたり笑ったりころころかわる表情に気が遠くなった

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ちょうどこんな空

 

 

その次の夢では、店で家具か何かを選ぶ時、両親に「子供が出来た時に」と話したけれど、その時なんの疑いもなく、そうだよね、いつか子供が出来たら──とごく当たり前にそう言ってくれたのが嬉しかった。

彼女の顔が浮かんで、女同士で子供は作れないので、子供を授かるためにいくつか方法を考えたりした。そこで目が覚めて、より現実的な経済状況やそもそも私のような劣悪遺伝子を残すのはどうなのか、という気持ちになって、自分はどうしたいのか、どうしたらいいのか分からなくなる

 

最近精神状態がよくない

Twitterで誰かと繋がるのは久しぶり。彼女と出会った頃はまだ社交的だったじゃんと言われるけど、今はとてもそんな気持ちになれない

そもそも繋がりたかった訳では、とか、こんな面白みも何も無いアカウントを、とかしかも鍵付きなのにとか色々言い訳を並べてみるも、やっぱり誰かと関わりを持てるのは嬉しいことのように思う

だけど、どうしたらいいのか何をするべきなのか全く分からないのが現状で、そんな自分を見ていると厭になる

やっぱり誰とも繋がりたくないかも

早く全部なかったことになればいいのにな

こんなつまらないことで一喜一憂してる自分は、傍から見てもさぞ哀れだろうなと思う

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切る瞬間は息を止める

単純に痛いのと力を込めるため

でも殴るのは感情のままにできていい

痕もなかなかかわいい

 

さっき見た夢では

妹の彼氏とふたりで、予約していたクリスマスケーキを取りに行った

歩いて30分くらいだろうか、その間に、比較的無口な彼にクリスマスの過ごし方などを訊かれて、普通にチキンを食べてご飯食べて、ケーキ食べるだけだって話した

それに大したリアクションはなかったけど、突然彼は小さなケーキ屋に入ったかと思うと、ケーキの箱を開けてトッピングを捨ててきて(クリスマスなのに忙しくなさそうな店員さんが驚いて呆れていた 彼女は大学の頃の友人だった)え!?と思っている間にケーキも全部食べてしまった。

駅で妹と合流しその話をすると、だろうね。と言われて、余計混乱した

なんだか知らないけど、2人にしか分からない事情があるのかと、でもいずれにせよ巻き込まないで欲しいなと思った

出来たら2人で取りに行って欲しかった

 

新年会

恒例のいとことの新年会だけど、

今回はいとこの子供たちも来ていた

去年何回も会ってるからこれは初めての劣等感では無いけれど、焦燥とともに、感覚は遠ざかっていく

笑ったらお母さんも皆も良かったねと笑う

泣いたらどうしたの大丈夫だよって抱きしめられて。

そうして安心して再び探索を始める活発な子供たちを見ていると、これが正常な世界なんだと改めて知る

この子達は誰からも貶されることなく、愛されて幸せな大人に育つだろう

自分を害するものは、全て親とその親が徹底的に排除する。良いものをたくさん与えられて、常識的で、愛嬌のある。

 

いとこといるとき、私はよく自分と自分の家族とを見比べる どこが違うのか、どうしてこうなのか

いとこは気が利くし、余裕がある。でも自分はそうじゃない、そうできない

その理由を考える。基本的に家の人は、誰かがしてくれた事を当然のこととみなす。感謝こそすれ、内心では見下しているのだ。同時に自分が先に動けなかったという負い目もある。だから自分ができなかった事をどうしてしてこんな事もと責められると逆上して、あなただってしてくれなかったと過去の粗探しをしたり。自分のことばっかりで、自分が劣ってると思いたくなくて、人のことを気に掛ける余裕が無い。

何をしても、そんなのは当然のことだよと言われる。そして当然のことだから見てもいないのだ。そうやって育てられた姉妹は、どっちも面白い程卑屈だ。してくれた事はほとんど覚えてないのに、いつ誰が自分に何をしてくれなかったかを決して忘れない。してくれなかった人には自分も金輪際手助けはしない。目には目を。だからやってあげた事は完全自己申告制だ。じゃないとやっぱりやってくれなかったよね。という事になるから、それだと不平等だから、自分から、あなたの為にこれをしておきました。と言わないといけない

みんな自分の善行が目立つよう自己アピールと、至らない自分を隠すために他人の欠点を探すので忙しいのだ。だから気を使うのはこの家では無意味。それと比べるといとこの家は、とても健全だ、と思う。まず自分の身内を貶して話題にしたりしないのだ。大人になって知ったことだけど、これはおかしい事だ。家族の誰かがムカつくから殺してやろうと思った。なんて、笑って他人に言うようなことでは無い。

自分では何も率先して出来やしないのに、人のせいにするのが得意なのだ。笑える。私はこんな薄汚い人間が嫌いだ 悲しいほどそっくりな自分自身も。

 

感覚が遠ざかる。よくある言い方だと幕の外側に居るような。みんなが幸せだといいのに、と思う

そこに自分は要らない。限らず自分というものはどこにも要らない。自分でさえも必要としない。

卑屈になっているわけじゃない 自分可哀想でもない こんなものが無ければ私はもっと幸せだっただろうにと思うのだ 自分が不幸なのは紛れもなく自分が自分であるからだ

 

瞬間に掴むもの

とても揺れやすくて絶え間なく移ろい変わっていゆく

ここに居たいと望んでも。自分はそういう人間だと自覚しても、到底慣れたり、受け入れられるようなものではない。コントロール出来ず、常に感情や気分の波に振り回されている。ふつうって、そういうものなのかな どうなんだろう

突き動かすものがなにかよく分からないけど自分の気持ちがあるうちは、絵をかける

絵をかいているうちは、自分が近いと思う

相変わらず気分は手に負えない。一日のうちで何度も虚無になって何も手につかなくなったりもする。それでも生きている感覚がある 不思議。後にも先にも、こんなに苦痛で制御不能の感覚に振り回され、劣等感に苛まれ、何度も辞めて辞めきれない好きで大嫌いなことってこれだけだろうな

なんか呪いみたいだ。下手でも続けていればもっとなにか見えたかもしれないけど、逃げ回って居る私にはいつも肝心なものがみえない

 

ということで、皆もレインコードやろう。楽しいよ。

おやすみ

お腹がいたい。大学の頃、咳止め80T一瓶を丸々飲んだり、講評前に眠剤を続けて飲んだり、そういうお腹に負担のかかることをしたときも、こういう痛みがあった 多分お腹が疲れているんだと思う 詳しくは、分からない。なにかもんだいがあるのかもしれない。何かあっても、そりゃそうだよね、当然自業自得なのだ。何もかも自分で蒔いた種。薬を飲むと楽だ 気が大きくなると、なんでも許せるようになる やめておこうかなと思ったこともやってしまえる。その結果悪かったことも、良かったこともある。抑圧されていたすべてが楽しげに飛び出して笑う なにも間違っていない。満たされた心地になる。

でも薬が切れると地獄だ 離脱症状的なものでは無い。記憶が一切ない事だ。好き勝手やったツケを、何も知らない私が受ける。私はこんなことをするような人間じゃないという相違に1番傷つく。

 

自分はさみしいのかもしれない。誰とも関わりたくないといいながら、誰ともかかわれないことが苦痛で仕方がない。もっとみて。やめてみないで。こんなの寄越さないで。もっと愛して。私のこころは、メイちゃんの底抜けバケツといっしょ。注いでも注いでも次から次にこぼれおちていく。

そんな私でも、幸せを感じる。まさにいま、眠たくて全身脱力した状態でベッドに仰のいてる。おふとんは、ママ 愛情のかたまり 抱きしめて、頬ずりして、匂いをかいで。ねむってもいいよ。そう言われている気がする。一層おだやかにねむたくなって、この瞬間は、いつもやさしい

最近おうちに来たぬいちゃんのうゆゆくん

彼も抱きしめてねむる おやすみなさい

みんなも、良い夢を

東京に行ったよ

例のごとくイベントの付き添いではあるものの。

人間て難しいなと思ったイベントだった

多分ほんとに仲良かったんだろな 憶測だけど

でも色々あって不仲になって目を合わせもしないというのは、

淋しいことだと思う 私は基本的にどんな大切だった人とでもそうだから、だから余計物悲しさを感じた

受け入れてほしい欲求を、誰もが抱えていて

報われるのはそのごく一部、とさえ思えるのに、

あまりに遠いところでは優しさが充ちていて

ここだけが冷えきっているのだと痛感した

なんだか泣けてくるのだ

目の前を高速で通過していく新幹線も電車も死の匂いがする 死ぬのに必要なのは、無くすこと。死にたくないと思う一時を、風を纏って空気を切り裂く彼らのはやさなら、それさえも無く、まるで夢のように、

初めて、ピューロランドに行った ここは、彼女にとって…救世主のような人との思い出があるところ 地に足の付かない感覚がしていた

すべてかわいくてきれいだった 夢みたいだった、たくさんあるけど、一つだけ、キティちゃんと写真を撮った 手を繋いで、ハグをして。緊張もあった。あったけど、まるで、母、みたい、だった 

 

連続性を失うこと

他者との関係を失うこと

それはこわい 不安になること

夢のよう。夢のよう。まるで迷子のように、どうしたらいいのか分からなくなる。ひとはたくさんいるのに、誰の目にも私はうつらない そうなると、自分の存在すら自身で分からなくなる

この膜を解いて、溢れるまま地へ吸われれば、こんな虚しさや不安を無くすことが出来るのか

私は一体なぜこんなにも独りなのだろうと思う

ひとりではないのに、ずっと独りだ

体が重い

皆が嬉しそうに笑っている 私も嬉しい そう思いたいから、私を消したい

ねむい